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インターネットがあれば何でもわかる、というわけではない、ということを人々がだんだん理解してきました。そろそろSNSは、創世記の役割を終えるかもしれません。

世の中の情報を共有するプラットフォームとして、求められるのはどのようなものでしょうか。世界中のあらゆる情報が正しい内容で正しい時系列で並んでいるものが、きっと求められるものでしょう。しかし、そんなものはなかなかありません。

インターネットの目指す役割の一つがこれだという感覚をお持ちの方は多いでしょう。私もそうですし、イーロン・マスク氏はTwitterをそのようなプラットフォームにしようと考えたと思います。しかしそこには、いくつもの壁がありました。

情報は伝えるときに常に制限が加わります。写真を撮ってニュースとして伝えてみても、その場にいる人が見ているもののうちほんの一部しか伝わりません。文字で文章にすれば、当事者の感覚は大半失われて、むしろ発信者の恣意が否応なく出てきてしまいます。

また、無料で使えるインターネットサービスには、どうしても情報の取得に広告が伴います。記事を模した広告も多く、情報を得ているのか物を売り付けられているのか分からなくなることさえあります。いろいろな思惑の情報が入り乱れている上に、人権問題を避けるための情報統制なども加わってきて、いったいどれだけまともな情報を得られているのか分からなくなってきます。

イーロン・マスク氏のTwitter改革は、真の情報共有を目指してタブーなしの何でもありという方針で進みましたが、様々な背策も目立った効果がなく、コントロールを失った難破船のように当て所なく漂っているようでした。むしろ、画面越しに情報共有する限界が浮き彫りになり、一気に現行のSNSが終焉に向かっているように思えてなりません。