2020年度を目標にして、プログラミング教育を小学校において必修化するという方針が政府から出ました。 その意味するところはなんでしょうか。


自分が毎日使っている言葉とは違う言語を勉強するというのは、結構骨の折れる作業ですよね。英語などの外国語を勉強するのは、つらく険しいものです。コミュニケーションの道具として使う前に、いったいどれだけの単語やフレーズを覚えなければいけないのかと途方にくれてしまいます。

ところで、ドラマや映画などでアメリカの高校の授業風景などを見ると、生徒がチューインガムを噛みながら足を組んで先生の話を聞いたりしていますよね。欧米では先生と生徒の関係が日本に比べると近しいもので、それは英語に尊敬語や謙譲語が少ないことからうかがい知ることができます。

英語を少し学んでいることで、日本にあるような上下関係がアメリカなどでは希薄であることが理解できます。これは、外国人と交流するときにはぜひとも知っておきたい大事な情報だと云えます。上手にコミュニケーションをとるためには、相手の文化を知ることが相手の母国語を話せること同じくらい重要だと言っても言い過ぎではないでしょう。

プログラミングを学ぶことは、「コンピューターはいったい何なのか」という事を理解するのに、大変役に立ちます。プログラマと呼ばれる人たちは、コンピューターがどれだけ利口で、どれだけ融通が利かないのかを知っています。

例えば、コンピューターに「住所録の埼玉県を全て千葉県に、千葉県を全て埼玉県に書き換えろ」と命令すると、コンピューターは埼玉県を全て千葉県に書き換えた後、千葉県を全て埼玉県に書き換え、結果的に全て(元から埼玉県だったものも含めて)埼玉県になります。

この処理は一瞬で終わりますが、期待した結果ではないですね。人間に同じ仕事を頼めば埼玉県と千葉県を入れ替えてくれるでしょうが、コンピューターはプログラム通りに動くだけで、こちらの意図を察してはくれないのです。多くの人がそれを知ることが、IoTが目前に迫っている現代には必要かもしれません。

住宅、自動車に限らず、衣服や農作物でも、何を作るにも、コンピューターへの理解が不可欠な時代がすぐそこまで来ています。だからこそ、将来の産業を担う子供たちにとって、プログラミングを通じてコンピュータ―を理解しておくことが今必要な教育であると考えられているのでしょう。